<フィリピンのミンダナオ島マチでの生活>
“天は神の栄光を語り
大空はみ手のわざをつげる。“ (詩編19)
淡いブルーの海、すぐ向こうに濃いブルーに包まれた丘陵の半島、海の手前には色とりどりの花々と木々で美しく整えられている庭、そして澄みきったブルー一色の空、時々日中の暑さに耐えかねている肌に涼風が訪れる。修道院の二階のベランダから眼に映る光景はまさにこのみことば(詩編19)の中に坐っている思いがする。
私は、3カ月滞在の予定で、大自然に恵まれた私たちの修道院でゆっくりとした日々を過ごしている。以前何度も訪れたフィリピンであるが、このように少し長く姉妹と共に生活している間に、いろいろなことに気づく。それは驚きであったり、喜びであったり、心痛いことだったりする。
(その1.) 2月の半ば、車で40分位のところにある公立高校の1日修養会にスタッフの一人としてうちのシスターが行くことになり、私も見学のため同行させていただいた。
カテドラルに7時集合、前晩から激しい雨が降り続いていた中に一晩中雨にさらされていたトイカー(座席がついている小型トラック)は、いくらエンジンをかけても動かず、手で押して近くのガソリンスタンドへ、無事動き出したのが8時30分頃であった。他の車に追い越されながら走っているうちに、車はスキップし始めてストップ、運転手がギアーを何度も前後に動かしても、一向に動かない、しばらく沈黙のうちに待っていると突然動き出した。しばらくするとまた車はスキップし始め、ストップ。学校を目前にして、降りて車を押さなければならないかと覚悟していたら、静かに動き出した。チャップリンの無声映画のひとコマを体験した気分である。相当時間が遅れて始まった修養会。午前中、生徒たちはすっかりセッションに集中し、休憩はいらないといって2時間半続けられた。
午後はゆるしの秘跡の準備、日々の生活にマッチした内容で、椅子から離れ、教卓の前の床に座り込み、食い入るようにシスターの話を聞く。その時の輝いた眼は忘れられない。ゆるしの秘跡には司祭一人のため、4年生(高校の最終学年)しかあずかれず、その間2時間低学年は待つ。遠くから歩いて通学している生徒は、ここで下校した。あたりは暗くなり始めている。その時々に順応して生きる姿に驚きと共に感嘆する。
(その2.) ある日わたしはタイル敷きの台所で、金属製のお盆を落としてしまった。その途端「アツ!ごめんなさい!!」と叫んだ。間髪をいれずそこにいたシスターが「ハッピーニューイアー!!」との歓声で受け止めてくれた。何と思いやりのある反応であろう。
またある時、わたしが朝の食卓で、「毎日5錠も薬を飲まなければいけないのよ。」というと、「じゃあその薬はあなたのベストフレンドね」という言葉が笑顔と共に返ってきた。何事も明るく、肯定的に受け止めるユーモアーのある対応は、篤い信仰心の実なのだろうか。
(その3.) 8人の子供を残して昨年父親を亡くした家族の母親は、一日4時間のパートタイムで修道院で働いている。週4日間で400ペソの報酬を受けている。他の物価を見ると、米が1キロ平均35ペソ位、ベビーローションが1本98ペソ、みかん9個で100ペソである。昨年高校を卒業した長女はヨルダンに働きに出て家計を助けている。他の子供たちは幸い日本からいただいている奨学金を受けてみな勉強を続けている。が、時々、今日食べるお米がないと修道院に助けを求めに来る。400ペソは約880円、どのように生活しているのだろうか。このような人々が多い環境の中にいる自分の生活レベルを考えると、心のうちにいつも釈然としないものを抱えて生活している。
明るく笑顔を絶やさない人々、苦悩と悲しみを、共に背負いながら乗り越えようとする人々、彼らはきっといつも主のみことばを糧としていることであろう。“神は私のよりどころ、わたしの砦、わたしの救い、
わたしの希望は、神のうちにある“ (詩編62)
フィリピン マチにて 梅津留美