1635年12月16日 マリー ド レンカルナシオンの手紙 トゥール
神父様、神様のために計画致しましたことは、神父様が私どもにお知らせになりましたように、それが実行できないことを認めたら、また神様のために断念しなければなりません。ですから、私は同意いたします。けれども、もし全能の御方が計画の実行を妨げる障害をお取り除きくださいますならば、私は計画をずっと持ち続けるつもりでございます。実際その計画は、人間には山のように見えても、神様の御前では藁か蜘蛛の巣に過ぎず、神様はそれらを一瞬のうちに壊してしまうことがおできになりますし、私は人間を小さな蠅のように無力なものといつも見做してまいりました。
ですから偉大な神様が、ご自分の霊で満たされた人々をお与えになるのでなければ、どうしようもございません。それこそ私が、日に幾度も神様にお願いしていることでございます。どうしても、そうお願いせずにはおれない気持ちなのです。そして、きっとお与えくださることでしょう。私と致しましては、今すぐにこの偉大で、大切な、望ましい幸せを得たいという大それた気持ちはもうありません。しかし、先住民のためにも御血を流されたイエス様の思いを自分のものとし、それらの人々がいつか私たちと同じように贖いの恵みにあずかることができますように、永遠の御父に絶えずそれらの人々のことをお願い致します。天の恵みをこれほどに受けた人々はなんと幸せなことでしょう。神様はその永遠のご計画に従って人々をお選びになり、聖なる征服(回心)のためにお働かせになりました。私は、それらのいとおしい先住民をもうすでに愛しております。神様がその御慈しみによって、ご自分の愛をそれらの人々にはっきりとお示しになっておられるからです。
神父様は、今度の最初の船であの幸せな国に出帆なさるわけですね。神父様、お元気でお発ち下さい。聖霊が、穏やかで快いそよ風をもって神父様をお導きくださいますように。私は妬ましくは存じておりません。この幸せには全く値しない者と認めているからでございます。そのうえ私は、そのことについてすべての愛情を傾け、お愛し申し上げ、崇めております神様の御旨を見知っているからでもあります。
ヒューロン人が、私たちの聖なる信仰を奉じることが期待されるという「会報」が公表されました。私の心がこの知らせでどんなに慰められたか、言葉に表すことはできません。ヒューロン人は評議会のようなものを開き、望む者は誰でもキリスト信者になることを許可しました。それを聞いて私は非常な喜びを覚え、次々と私を襲った多くの苦しい試練はすっかり忘れてしまったほどでした。神父様が、これらのすべてを主にささげてくださいますようお願い致します。神父様とご一緒にカナダにまいれなくとも、私は気持ちのうえでは神父様にお供し、私たちの主においていつも神父様の至って不束な、また至って従順な娘でありたいと存じます。
(修道女が見聞した17世紀のカナダ 門脇輝夫 訳 からの抜粋)