聖マリー・ド・レンカルナシオンとともに
(1599年~1672年)
わたしは屈辱と軽蔑、
つまり、十字架の束を持っていて、
それらがわたしを
十字架そのものに似たものにし、
こうしてわたしには自分のうちに
十字架以外の他のものは
何も見えなくなっているのです。
もしわたしが
イエス・キリストはわたしの命、
わたしの命はイエス・キリストであると
言えるほどに清ければ、
わたしの命はイエスさまのお命と
合致しているわけですので、
死についても同じことが言えるでしょう。
(聖マリー・ド・レンカルナシオンのことばより)