〜次に来る人々のために〜
「詩編48章」と聞いて、私たちは何を思い浮かべるでしょうか。
シオンの周りをひと巡りして見よ。
塔の数をかぞえ
城壁に心を向け、城郭に分け入って見よ。
後の代に語り伝えよ
(『新共同訳 聖書』、詩編14章13〜14節)
いつ頃からか、私はこの言葉に、何かを呼びかけられていると感じるようになりました。そして、最近、二つのドキュメンタリー番組を見ていた時、私はこの詩編を通して神様が私を導こうとしておられる方向を見せていただいたように思います。
一つの番組は、ある心臓外科医の物語でした。その人は、これから活躍し名声をあげるのに十分な若さであるにもかかわらず「自分一人では患者を救うことに限界がある」と悟り、昇進の道を捨て第一線を退き、大学病院で後進の指導・養成にあたりながら診療に関わる生き方を選びました。
もう一つは、チーズ農家の物語でした。「日本の風土を生かしたチーズを作る」ことを理想とし、チーズ製造に挑戦する親子の記録です。その番組の中で、父親は自分の年齢を考え、いつまで作業を続けられるかという体力の限界と、自分が生きている間に今挑戦している特別な製法を完成することはできないことを悟り、できるところまで二代目である息子と一緒に携わり、後は息子に委ねていくことを決心します。「利益のためにチーズは作らない。一家が食べていくための仕事としてのチーズ製造であって、家族でまかなえないような規模の仕事はしない」という方針にも心を打たれました。
私の心に、この二つの番組と詩編48章の共通点が浮かんできます。それは「次の世代に伝える生き方」です。これは、たびたび聖書の物語に見られるように、年齢を問わず呼びかけを聞く者に与えられる生き方です。その中には、次の世代と一緒に働き、伝え、未来を委ねていく過程があります。多分、自分では完成を見ることのない、この歴史の始まりと完成の間に留まり、今の世の中を生きて、次の人が働きやすいように、希望を持って生きられるように準備すること、伝えること、完成を委ねていくこと、これが、詩編48を通して神が私に呼びかけていることなのだと感じています。
聖ウルスラ修道会 Sr.K.S