3月11日に起こった東日本大震災におきましては、多くの死者、被災された方々の存在にただ、息を呑み、ひたすら祈りをささげた日々ではなかったでしょうか。
仙台の各修道院は地震の被害の真っただ中におり、この期間中各コミノテをはじめ、日本国内外からたくさんの励ましとご援助をいただき、被災地に住む一姉妹として感謝に絶えません。
またこの震災の影響で亡くなられた、アンドレ・ラシャペル神父様、六人の卒業生、そして姉妹のご親族の方々を思い、心からご冥福をお祈りいたします。
社会正義委員会としましては2010年度第3回目のニュースを3月4に発行の予定でしたが諸般の事情で遅れましたことをお詫び申し上げ、遅ればせながら大震災をテーマに発行いたしますことをお許しください。
仙台教区「新しい創造」基本計画
司教様、教区民に緊急アピール発表
大震災から一ヶ月が過ぎた4月18日平賀哲夫司教様は仙台教区の復興に向けて仙台教区「新しい創造」基本計画を発表しました。
2011年3月11日午後2時46分に襲った大地震、大津波そして4原子力発電所の爆発事故は太平洋沿岸の東北各地に膨大な被害を及ぼしました。
司教様は「キリストに結ばれる人はだれでも新しく創造されたものなのです。のパウロの言葉を引用して「この大災害の中にいる今、キリストと結ばれて新しく創造されたものである私たち教会は、キリストが抱いたと同じ思いを抱きながら一日一日一層の「新しい創造」へと力強く歩みたい。」と言われます。
そして教会は力のおよぶ限り、特に被災地の中でも「谷間」におかれた地域とそこに暮らす人々の心を生き、励まし、支えたい、またこのプログラムは「痛み」を伴うものであることも強調されています。
何と私たちの総会の指針と共通していることでしょう。
「見よ、私は新しい天と地を創造する」(イザヤ65:17)
すでに会の指針を生きようとしている私たちが教区の基本計画にどのように応えることができるでしょうか。
皆様のご意見、ご感想などを社会正義委員会にお寄せいただけましたら幸いです。
一本杉修道院の震災中のエピソードから
相互信頼、協働、連帯、相互依存性
☆あの大地震の数日後のある朝6時半ごろ、修道院のベルが鳴ったので出てみると小雪降る中、赤ちゃんをおんぶした若いお母さんが自転車から下りて立っている。
「私はウルスラ高の卒業生です。シスターたちがお困りのようでしたので少しですが持ってきました。お使いください。」と差し出したのは紙袋に入った食料品。お米一袋、野菜1把、缶スープ3個など。自分の家でも必要だったろうにシスターのためと思い持ってきてくれたのだった。ただ、頭の下がる思いであった。
☆ある夜の事.姉妹が戸締りのため門に出て行った時、修道院の通路に大きなトラックが止まっている。事情を聞いたところ神戸から救援物資を積んで女川まで行く予定だというプロテスタントの牧師さんとその仲間たちであった。車の中で休むというので、早速、姉妹に連絡し、教会を開けて貰い、教会の畳の部屋で一泊することができた。
翌朝彼等はお礼に何か必要なものを、とのことで、毎朝七輪で炭おこしをしているというと、早速トラックの荷物から炭を沢山出してくれた。阪神大震災を経験しているボランティアのプロという感じの方々で自転車や炭など必要な物を満載していたのである。
☆本会のホームページ設立に協力してくれたSさんから、ご自分の叔母さんが津波で流され一命は取止めたものの、どの避難所にいるかわからないので調べてほしいとのメールが入った。宮城県内の避難所のリストをインターネットで検索したり、知人に調べるのを手伝ってもらいついに居所がわかりました。早速Sさんに知らせるとすぐ会いにくることになった。まだ交通機関もほとんどマヒしていた3月中旬のこと、彼は東京から飛行機で山形まで来て、山形から大雪の中大きな荷物を持って修道院に夜、到着。その夜は応接間のテーブルがベット代わりとなった。次の朝、荷物の中から修道院に電池やホッカイロなど必需品を差し入れてくれ、感謝であった。その後無事に叔母さんと再会されたとの連絡があり安心した。
☆ウルスラ小学校の卒業生、U・Y君来仙、
Y君はアソシエの方の息子さん。20代の元気な青年である。彼は救援物資を車に満載して東京から一路仙台までやってきた。救援物資は東京のアソシエの方々が教会に呼びかけて集めたものである。それらは修道院で一時預かり、必要な方々に分かち合うことにした。彼はその後も石巻の教会や避難所などでボランティアをするため度々やって来ているようである。
彼の行動の原点は小学校時代にボランティアについて宗教の時間シスターに聞いたことが心に残っている、と話していた。
☆3月10日の管区顧問会が終わり13日にフィリッピンに帰国する予定だったシスターがこの大震災に巻き込まれ帰国できなくなった。どんなに心細く、不安だったであろう。しかし、彼女は約2週間私たちの避難生活のすべての苦楽を共に協力してくれた。1日の大半が一階の食堂を生活の場とした毎日、朝の起床後の布団の移動、朝食のテーブルの準備、台所でのおにぎり作りや食事の準備、必要なところにいつもそのシスターBの存在があった。毎日のロザリオにはいつも一緒に英語で参加してくれた。シスターB本当にありがとう。
終わりに
あの非常事態の日々、人々との普段の関わりがどんなに大切か身に染みて感じさせられた。
ご近所の八百屋さん、パン屋さん、灯油の業者さん、ヘルパーさんや調理の方々、町内会の方々。連帯、協働、相互依存の意味を実感した時であった。
そして、何にもまして一本杉修道院の高齢の姉妹方の姿の逞しさに感動した。(戦争のあの体験が土台になっているようだ)不自由な生活にもかかわらず、共に協力して、乗り切ることができたことは本当に神様に感謝したい、ウルスリンヌの底力を見る思いであった。