1985年静岡県下田市に聖ウルスラ修道院が設立されてから25周年を迎えました。心から感謝申し上げます。
聖ウルスラ修道会下田修道院の創立25周年を祝って
カトリック横浜司教区教区長 司教 ラファエル梅村昌弘
創立25周年にあたり、私の前任者である濱尾枢機卿様のことをなつかしく思い出します。枢機卿様は機会あるごとに下田修道院の重要性について話しておられました。伊豆半島の付け根にあたるところには伊東と沼津、三島の教会がありますが、半島そのものには一つも教会がありません。宣教の拠点を持たなかった横浜教区にとって下田修道院の設立はまさに「福音」そのものでした。爾来、伊東教会の巡回教会としての位置づけもなされ教会の使命である福音宣教において大きな役割を果して来ました。その大任をひたすら果たし続けて来られた聖ウルスラ修道会の会員の方々には「おめでとう」と同時に心から「ありがとう」と申し上げたいと思います。
日本の聖ウルスラ修道会は仙台教区に拠点を持っていますが、来歴から言うとカナダです。横浜教区にあってはシスター方との出会いの場は下田修道院をとおしてのみですが、常々逞しさ、勇ましさを感じています。勿論、会員のほとんどは日本人のシスター方でいらっしゃいますが、いかにもカナダの広大な荒野を切り拓いた開拓者たちの末裔という雰囲気を感じさせる修道会です。日本における宣教活動も開拓精神旺盛なカナダ人の気質をもって果敢に展開して来られたことと思います。伊豆半島という福音宣教においてはまだまだ未開拓の土地にあってこれからも男性司祭に負けず劣らす活躍してくださることを期待しております。
ラファエル梅村昌弘司教様による設立25周年記念ミサと祝賀会ほか
アンジェラに息吹かれて
管区長 大野 俊子
“アンジェラは私たちのうちにいきいきと生きておられる”とのテーマのもとに、聖ウルスラ修道会が創立450年を祝っていた1985年、世界に根を張り伸びやかに枝を広げる大木に生え出た一つの若枝のように下田修道院が誕生しました。
前年、スール板橋總子の父君、板橋七三郎氏より医院とご自宅を布教のために使用してほしいとのありがたいご意向を受けた本会は、当時の横浜教区長、濱尾文郎司教様のご許可のもとに創立者聖アンジェラの燃える使徒的精神に息吹かれてこのお申し出に応えたのでした。
最初に派遣されたスール テレーズ・ヴェジナ、スール四戸ミツ、スール エリザベト・マルテンの三人は下田の信徒の皆様からの大歓迎に励まされてこの地で新しいで出発をしました。当初は、私たちに何が望まれているのか、ゆっくりと眺めながら歩みたいと思っていたのですが、実際にはすぐに要理教育、聖書研究、英語教室、ピアノ教室など次々と使徒的な仕事が始まり順調な滑り出しとなりました。
また、教会関係だけでなく、シスターたちが市民の方々にも親しまれ愛されたことも特筆すべきことでしょう。着任後間もなく、板橋家の建築を担当された大野雅史氏が当時の池谷淳下田市長の表敬訪問を実現させてくださったおかげで、この訪問は写真入で翌日の地方紙にかなり大きく報じられ、修道院の存在が市民の皆さんに知られるところとなったのです。また、この地で長く名医として慕われておられた板橋先生の医院にシスターたちが住んだことも人々から好感を持って迎えられたゆえんでした。
それから25年、司教様、神父様、信徒の皆様、地域の皆様、そして列挙できないくらいの多くの方々の温かいご指導・ご支援につつまれて私たちのミッションは今日を迎えました。慈しみ深い神様のお計らいと皆様のご厚意に心から感謝申し上げます。今後とも下田修道院の小さな群れをお導き下さいますようにお願い申し上げます。
み国が きますように
S.板橋總子
2009年11月1日、シスター オディールから私の元にEメールが届きました。
それは、来年2010年4月16日に迎える下田修道院創立25周年を記念するために一文をというものでした。
私の手元に、一通の葉書が残されています。昭和60年(1985年)4月16日付の父の挨拶状です。拝啓 新緑の候 皆々様にはご健勝の事とお慶び申し上げます
私事伊豆下田で耳鼻咽喉科医として医道にいそしむ事52年に及びました 此度高齢 に伴い三月末に医院を閉じました下田在住中は公私共に御支援と御厚情を忝うし有りがたく心から御礼申し上げます
尚 下田の自宅はカトリック聖ウルスラ会下田修道院として福音宣教のために使って戴く事に致しました
今後もどうぞ宜しくお願い申し上げます
昭和60年4月16日
新住所 〒254 平塚市黒部丘22番16号
板橋 七三郎
旧住所 〒415 静岡県下田市2丁目11-2挨拶状の文面にありますとおり、父は伊豆下田において一介の医師として生涯を捧げました。父の診察室にはいつも患者さんがあふれていました。その一生は医師としての、また人間としての道を求め続けた一生であったように思います。私がキリスト教の洗礼を受けることにも、まして修道生活を望むことにも猛反対であった父は、その後神様の限りないみはからいにより、1972年12月26日フランシスコザビエルを霊名にいただき、マリアの霊名をいただいた母と共に洗礼のお恵みを受けました。
下田の信者さんたちのためのミサが自宅であげられる様になって、いつのころからか父の心の中には、医師を引退した後には自分の家を神様のために使ってほしいとの望みが芽生えていたようです。医者であったルカを洗礼名にと薦めた娘達の申し出に対して、わしはフランシスコザビエルがよい と言った父の思いの中には、日本に初めてキリスト教を伝えた偉大な宣教師への感謝と同感があったことを今になって推し量ることが出来ます。
当時伊豆半島にはカトリック教会はなく、主日のミサに与るためには、伊東教会まで1時間電車に乗って出かけなければなりませんでした。幸い聖ウルスラ修道会が父の意向を真摯に受け止めてくださり、また当時横浜教区の教区長であられた浜尾文郎司教様は伊豆半島に福音宣教をする拠点として下田に修道院が開設されることを大変お喜びになり励ましてくださいました。
このようにして、伊豆の下田にシスターが派遣され常住し喜びのうちに福音を宣べ伝えることに専従することになりました。父は引退して母と共に平塚市に居を移し、昭和63年81歳で天の御父のもとに旅立ちました。全世界に行って福音を宣べ伝えなさいとおっしゃったイエス様は、伊豆半島の小さな町で生涯を病める人々のために捧げた一介の医師をご自分の道具としてお使いくださいました。下田修道院の創立の経緯から今日までの歴史を振り返りますとき神様のなさる不思議な御業に深い感慨を覚えます。父を支え続けた母も昨年94歳の天寿を全うし神様の元にかえりました。
創立25周年を心からお祝いし、天の御父に感謝を捧げながら、主の救いのよき訪れがますます伊豆半島に住む人々に告げられますように祈りつつ筆をおかせていただきます。
2009年12月3日 フランシスコザビエルの祝日に ケベックにて
下田巡回教会と聖ウルスラ修道会
大隅克巳
下田巡回教会のことで最初に思い出されること。柿崎の相馬宅です。記録によると、1954年(昭和29年)1月18日相馬宅でミサが行われております。その後、1971年(昭和46年)より約8年間柿崎大隅宅、1981年(昭和56年)より信徒宅を順次巡回してミサが行われておりました。
そのような時に聖ウルスラ修道会下田修道院が創設されました。当初のコミノテメンバーは、S.テレーズ ヴェジナ院長様・S.四戸ミツ様・S.エリザベット マルテン様でした。そして一年後に、S.オディール ガードナー様がおいでになりました。
下田地区信徒待望の集会の場が与えられました。「神のはからいは限りなく」とよく歌われますが、本当に不思議なことです。私たちの灯した小さなローソクはすぐ消えてしまいますが、神さまのお計らいのローソクはだんだん大きくなってまいります。本当に不思議なことです。そして下田修道院は、下田巡回教会として発足いたしました。修道院が創設されたことで、忘れられないことの第一に挙げられることは、毎月一回のミサが、十回くらいに増えたことです。水曜日の夜と木曜日の朝の二回に加え日曜日もありました。年間では100回以上になりました。御聖堂にはいつもイエス様がおられます。その印として聖体ランプが灯され、ご聖体訪問はいつでもできることになりました。次に「教会の祈り」を教えていただいたことです。それまで朝夕の祈りは何をしていたのかと、思い出すのもさびしいことです。25周年を迎える、このころ何とか家庭でも「教会の祈り」ができるようになりました。これもシスター方のお導きによるものです。
黙想会のことも忘れられないことです。一日だけのことでしたが伊東教会の方もお迎えして、主任司祭以外の神父様方のミサに預かり、黙想のご指導をいただきました。それから、シスター方と共に老人施設の訪問、入院されている方のお見舞い等もありました。梓(あずさ)の里の阿部さんご夫妻、加藤浜さん、賀茂老人ホームの高木さん、お尋ねした方々は、皆さん天国に召されました。 最後に思い出されることですが、今は亡き土屋たま子さんのことです。土屋さんは北海道は函館のお生まれで、遠く下田に嫁がれました。私と土屋さんとの交際は、下田修道院創設と同じ頃でした。修道院と共に歩みましょうと約束していたのに、健康を害し平成20年9月25日神様のもとに召されていかれました。土屋さんの真の喜びは、修道院発足と共に始まったのではないでしょうか。偶然に街で土屋さんの後姿を見かけたことがありました。何処へ行かれるのかと思いましたが、後でお聞きしたことですが、修道院を尋ねられたとのことでした。若い娘さんが歩くように喜びに溢れた後ろ姿を今でも思い出されます。一日に何回となく修道院を訪問されていたようです。
私たちの祈りの場、集会の場である修道院の25周年を迎えるに当たり、「神の限りないはからい」に感謝を捧げ、絶えることのない慈しみをお願いいたします。
マリア様と心を一つにして
S.オディール・ガードナー
今日の良き日に25周年を祝って感謝をのべたいと思います。
わたしは神をあがめ、わたしの心は神の救いに喜びおどります。
さまは小さい聖ウルスラ下田修道院を顧みてくださり、
私たちはいつも感謝の祈りをささげております。
神さまは私たちに偉大な業をおこなわれました。
25年間私たちを支えてくださいましたので
大勢の人たちは神さまを知ることができました。
神さまは道, 真理、命です。
英語・フランス語・ピアノ教室
そして聖書・教会学校・心の時間を通して
下田の方々はそれを知ることができました。
神さまは私たちの祈りを聴いてくださいます。
私たちと出会った方々は
心を開き、感謝のうちに一つになることができました。
神さまは聖ウルスラ会と下田カトリック教会の小さな共同体を
祝福してくださり
私たちと共にいつもおられます。
永遠であるいつくしみ深い神を信じて感謝のうちに…
いつも喜んでいなさい
たえず祈りなさい
すべてのことについて
感謝しなさい。
(テーマ ソング)